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“大好きな事”を手放さなければ、人生が突然に転がりだす。ジミー・ペイジ絶賛!奇跡と感動の傑作ドキュメンタリー
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MR.JIMMY ミスター・ジミー  レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男

billing
2025年1月10日(金)より
			新宿シネマカリテほか
			全国順次ロードショー!
2025年1月10日(金)より
			新宿シネマカリテほか
			全国順次ロードショー!
劇場情報
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TRAILER

ZEP SONGS
「僕自身はもともと無いからね。ジミー・ペイジのギターを弾いて来ただけだから。」
個性を“封印”し、“再現芸術”を“異様”なまでに追求し続けた日本人サラリーマンギタリストが世界を席巻!
ツェッペリンナンバー炸裂の傑作ドキュメンタリー!
ツェッペリンナンバー炸裂の傑作ドキュメンタリー!

Introduction

“大好きなこと”を追求し続けた男のちょっと奇妙なサクセスストーリー

ロック史に燦然と輝くスーパーバンド レッド・ツェッペリン。そこで数々の名演を残してきたレジェンドギタリストジミー・ペイジ。そのプレイは世界中のギター少年を一瞬にして虜にしてしまう。その一瞬のトキメキに、永遠に憑りつかれ、ペイジになりきる事をライフワークとする日本人、ジミー桜井をご存じだろうか。ギタープレイは勿論の事、アクション、衣装、機材、その全てを完璧に再現し“リバイバル”する。ツェッペリンのレコードに初めて出会った高校時代から、サラリーマンの傍ら30年以上も、その再現を極限まで、ひたすら追求し続ける毎日。同じ曲でもライブ毎に全く異なるアレンジ、フレーズを奏でるレッド・ツェッペリン。膨大な海賊版音源を頼りに、その日毎のフレーズ、そしてその瞬間のステージに宿るケミストリーまでをも完璧に再現させてしまう、異様なまでの探求心は、常軌を逸している。

細部に拘る日本人の誇るべき“気質”が世界を席巻

その活動はいつしかジミー・ペイジ本人の耳に入り、遂には来日時に桜井のライブにお忍びで訪れ、ペイジ本人が大絶賛、正式に“公認”してしまうという“奇跡”を起こす。そこから桜井の人生は一気に動き出す。渡米を決意、本場のトリビュートバンドに加入、怒涛のライブ活動を開始。しかし、そこに待ち受けていたのは、言葉の壁、過酷を極めるツアー、メンバーとの軋轢…。かつては単なるツェッペリンファンだったアマチュアギタリストが、“オリジナリティ”を封印し、ひたすら“再現”を“表現”する“再現芸術”で、本場のオーディエンスを熱狂させてしまう。好きな事をとことん追求し続けた事で、人生が一変してしまった、ちょっと奇妙なサクセスストーリー。極限まで細部に拘る日本人の誇るべき“気質”が世界を席巻する瞬間を捉えた、胸躍る傑作ドキュメンタリー。

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ピーター・マイケル・ダウド監督インタビュー

この映画の話はどのように持ち上がったのでしょうか?アイディアはどのように生まれたのでしょうか?
私がレッド・ツェッペリンと恋に堕ちたのは14歳の頃でした。高校まで先輩の車に乗せてもらっていた時に先輩がカセットをプレイヤーにポンと入れ、それは『Led Zeppelin II』でした。「Whole Lotta Love」の最初のリフはレスポール・ギターを持ったベートーベンのように感じられ、私の脳裏に焼き付きました。私はこのリフ、バンドのグルーヴ、そして高らかに歌い上げるヴォーカルに完全に催眠術にかけられてしまいました。しかし、ブリッジになると、「このバンドは完璧なリフを作り上げたのに、それを捨ててこの曲を崖から落とすという選択をしたんだ!」と思ったのを覚えています。

その大胆さ、自信、そしてどんな安全網をも越えて曲を押し進めるその度胸は、それまで聴いたことのないものでした。それは天才の域を超越し私のティーンエイジャーの頭脳では理解の範疇を超え、学校では一日中あのリフのことを何度も何度も考えていました。私は完全に憑りつかれ、その素晴らしい発見をした1年間でレッド・ツェッペリンのアルバムを全て購入し、サウンドと芸術的探求の宇宙が私の前に開かれたのでした。

彼らの作品の独創性は、私にアーティストとしての基礎的な部分にインスピレーションを与えてくれたと思います。生々しさと技術的な革新との間に彼ら流のバランスの取り方があり、美しくてオーガニックかつリアルで、そして鼓動するハートを持ったサウンドでした。

14歳から42歳の現在まで、私はレッド・ツェッペリンへの愛を持ち続けてきました。一つ前のドキュメンタリー作品を完結させた頃、私は次の製作のために新しい題材を探していました。ある友人から「それほどクソではない。」と、ツェッペリンのトリビュート・バンドを観たことを告げるメールが気まぐれに送られてきました。そのバンドは間違いなくMr. Jimmyではなかったですが、トリビュート・バンドの世界について考えさせられることとなりました。

私にはそれが魅力的に感じられました。基本的にアーティストが他のアーティストになりすますというのは美術品を偽造する行為のようなものですが、それは絵を偽造するだけでなく画家をも偽造しているのです。そこで私はYouTubeという異次元の世界に入り何百ものトリビュート・バンドを見たところ、その多くは善意的なものでしたが長らく検索しているうちに私のアイディアは上手くいかないと思うようになりました。ほとんどのバンドは私が惚れ込むには音楽的に不十分だったのです。

誰かを嘲笑したりからかったりするような映画は作りたくないので、私のトリビュート・バンドのアイディアはこれで終わりだと思っていました。あの時までは…。

東京のクラブでの暗くて粗いビデオをクリックすると、そこにはミスター・ジミーがいました。青いボタンダウンのシャツにカーキのパンツ、ローファーでドレスアップし、そして黄色いギターストラップも。1979年のレッド・ツェッペリンのネブワース・コンサートでのジミー・ペイジの衣装だと即座に分かり、私は度肝を抜かれました。誰もが(少なくともツェッペリン・ファンなら)ペイジ氏の有名な“ドラゴン・スーツ”を知っていますが、これはハードコアなファンにしか分からないものだったのです。

あまり人気のなかったこの時代の衣装をミスター・ジミーが全て完全に再現したという事実は私にとって驚異的でしたが、私が目にしたものよりも重要だったのは私が聴いたものでした。ミスター・ジミーのギターの音色は崇高で、彼の演奏はヴァーチュオーゾ級であり、1979年8月のまさにその瞬間のペイジ氏の唯一無二のサウンドを完璧にキャプチャーしていました。

私は完全に魅了されました。私は夜通しで次から次へとビデオをクリックし、その度にツェッペリンの別の伝説の時代、「1975年のアールズ・コート」、「1973年のマディソン・スクエア・ガーデン」、「1970年のロイヤル・アルバート・ホール」に連れて行ってもらいました。昭夫は毎回、衣装、ギター、アンプ、トーン、動き、演奏スタイルを正確に再現していました。ペイジ氏が髭を生やしていた時代であればミスター・ジミーはそれを再現するために付け髭をしていて、それが延々と続いていたのです。

しかし究極的にはレッド・ツェッペリンのライブ体験を見事に想起させた音楽に尽きます。そして、ミスター・ジミーが日本のコラボレーターたちと組んだバンドの映像を見ていて、彼らのトリビュートの原動力となったのは純粋な愛と敬意であったことを疑う余地はありませんでした。それは私が今まで見た中で最も純粋な畏敬、敬意、名誉の表現の一つだったのです。

その瞬間に私はミスター・ジミーが並外れた人物であることを認識しました。彼は何十年もかけてペイジ氏へのトリビュートに磨きをかけ、メソッド式の俳優のような感情の表現力、名手のミュージシャンの腕前、音楽キュレーターのように細心のディテールまでを追求する心を兼ね備えていました。簡潔に言えば、「ミスター・ジミーこそが映画だ。」と思ったのです。そしてギターのストラップ、振り付けのニュアンス、あらゆる部分に宿る忠実さにも気付きました。

そこで私はミスター・ジミーの日本版のウェブサイトに「あなたには伝えるべき素晴らしい物語を感じました。そして私こそがそれを伝えさせてもらう人間だと信じています。」と、シンプルな手紙を書きました。すると「あなたはなんとラッキーな人なのでしょう。私の夫は夢を追いかけるためにロサンゼルスに引っ越したばかりです。」と返事が昭夫の奥様から来ました。

そしてそれから先は歴史に示されています。
本映画の製作にどれだけの期間を要しましたか?
この映画の製作には3年かかりました。日本には4回行き、その度に滞在期間は長くなっていきました。カメラが回っていないところでも昭夫と沢山の時間を過ごし、それは互いをより深く知るためのものでした。レッド・ツェッペリンのブートレグ盤を聴いたり、温泉に行ったり、昭夫が思いつく限りの奇妙な食べ物を食べるという挑戦を受け入れたりしていました。

私は物語を最後まで追うことに全力を注ぎ、そしてそれは物事がどういった方向に進んでいくのかまったく分からず、時折ゾッとするような瞬間が沢山ありました。昭夫がアメリカでのバンド仲間と葛藤する様子は映画の中でよく描かれており、このまま上手くいかず日本に帰ってしまうのではないかと私は何度か思いました。そのような結末を考えるのは悲しかったですが、結果がどうであれこの物語がどこへ導かれようともそれを追う覚悟は出来ていました。
どうしてこの映画を作ったのでしょうか?
私はレッド・ツェッペリンを愛し、ミスター・ジミーのレッド・ツェッペリンへの愛を愛しているからこの映画を作りました。私が出会った中で最も純粋な愛の形です。彼は音楽をきちんと演奏することだけを望んでいます。ペイジ氏とレッド・ツェッペリンが創造したものに敬意を払い、並外れたパワー、そして史上最高のロックンロール・バンドのステージ上でのライブパフォーマンスを目の当たりにした時に感じたであろうそのパワーを観客と分かち合いたいのです。
撮影に関する逸話、撮影の過程であなたが面白いと感じたエピソードを教えてください。
沢山の思い出があります。最も衝撃的でこの映画全体のトーンを決定付けることとなったのは、日本での最初の数日間が終わり私たちの小規模のクルーたちと夕食を共にした際のことでした。昭夫の情熱、尊敬の念、レッド・ツェッペリンに敬意を払うために相当高いレベルのものをバンドとして追及していることに私たちは圧倒され、私たちも皆同様の決意を持たねばならないと悟りました。

私たちもまた同じレベルで自分たちを律しなければなりませんでした。そしてまた物事に対して正しく、敬意を持って向き合わなければならなかったのです。昭夫の純粋な情熱とこの音楽のマジックを的確にキャプチャーした映画を作るために、私たちもまた自分たち自身に挑戦しなければならなかったのです。

その直後に私たちは新潟に向かい、昭夫が田んぼの横の小さなクラブでプレイするのをレコーディングすることとなりました。とても優秀なサウンドのレコーディング担当のジェフと私は話し合っていました。「こんな小さなクラブで彼はどうやってレコーディングするんだろう?クラブにマイクもコンソールも十分なものがなかったらどうするのだろう?」と。ジェフは「じゃあ、僕の機材を全部持って行くよ。全部だよ。」と返答し、その瞬間私は彼と恋に堕ちたと思います。彼は自身の車に全てのマイクやケーブル、オーディオ・インターフェースを詰め込み、ショウ全体をマルチトラックで録音しました。そのレコーディングには美しさや、温もりが宿っていました。昭夫と彼のバンドメンバーがやっていることのスピリット、その結束、純粋さ、全てに対する尊敬の念を完璧にとらえていました。とにかく、ジェフの貢献と私たちの総力を結集させたことで、私たち全員で作れる最高の映画を作ることに駆り立てたのです。
撮影中もしくは撮影後に、本映画は当初思い描いていたアイディアから離れたものとなっていたことはありましたか?
もちろんありました。私は当初、昭夫がLed Zepagainと共にEXシアターでプレイするショウで映画が終わると思っていました。それがちょっとしたナイスな物語の展開のように思えたからです。しかし私には素晴らしいと思えたショウの後、昭夫が深く不満を抱いていることに気付きました。彼がバンドを辞めると言った時、私はどうしたらよいのか全く分かりませんでした。私は映画が終わった後に「撮影終了後に全てが変わった…」という注訳が入るような映画が嫌いなので、このまま続けて次に何が起こるのかを見届けることにしました。まさかそれが私の人生をさらに2年も費やすことになるとは思ってもいなかったです。しかし展開されるストーリーはとても複雑で、挑戦的で、最終的には自分のビジョンを守るために2年間奮闘する昭夫の姿を本当に感じ取ることが出来るものとなりました。粘り強く続けられてよかったと思います。
本作品の中でチャレンジしたことを教えてください。
私は完全にインデペンデントでやっている映画監督です。この映画は血と汗とクレジットカードの借金で作ったものです。だから経済的に破綻せずにやり続けることは恐ろしいほどにチャレンジングでした。3度目の来日の時は航空券を買うお金さえなくて、車を売りました。これはロサンゼルスで生活をしていく上で少しタフなことでした。でもそのお陰で日本に行くことが出来ました。だから、映画の製作費を捻出するために金銭の工面をすることと、映画を続けることのバランスを保つのはとても大変なことでした。そしてもちろん、この映画は、Visa、Mastercard、American Express、Discoverに捧げるべきものかもしれないですね。
この映画を製作したことで得た成功とは?
最大の成功は、音楽を正しくキャプチャー出来たことだと思います。これらの楽曲とそのライブがどれほど美しく、そしてそれらがどれだけ現代のクラシック音楽となりえているかを捉えています。また昭夫の性格、献身、誠実さ、並外れた集中力を見せられたことも成果だと思っています。そして映画を見終える頃には彼のことを知り、彼の葛藤を感じることが出来るでしょう。
オーディエンスには本映画から何を感じてもらいたいですか?
究極的には、これは忍耐力についての映画だと思います。時には人、状況、合理性があなたの前に立ちはだかることがあると思いますが、そういったあらゆる障害に立ち向かって目標を追い求める忍耐力があるかどうかということです。たとえ辞めるべき状況であったとしても逃げ出さないキャラクターには、常に何かしらの説得力があると私は思います。さらに音楽からインスピレーションを得て、自分自身を掘り下げてみて欲しいです。そして昭夫のハートを感じてみてもらいたいです。彼の愛、この音楽への純粋な愛を。
本映画製作のためにカメラ、サウンド、編集など、特別な技術の導入はありましたか?そしてそれらがどのように重要だったのかを教えてください。
マルチトラック・レコーディングへのこだわりは、この映画のクオリティにとって非常に重要だったと思います。私たちはどこであっても妥協なきサウンドを求めました。そのためには多くの労力と計画が必要でしたがそれをする以外に選択肢はなかったのです。それ以外の方法は音楽に対する侮辱や冒涜だったと思います。

また、オーストラリアの豪華なステート・シアターでのフィナーレは8Kで撮影しました。このようなドキュメンタリーではあまり選択されないことだと思いますが、私たちはこの空間の壮大さを際立たせてクライマックスのパフォーマンスの細部までを映し出したかったのです。
あなたにインスピレーションを与えるもの、映画監督として影響を受けた人やものを教えてください。
映画監督になる前、私は映画館のプログラマーでした。だから幸運なことに私は何人かの伝説的な映画監督たちと一緒に時間を過ごし、その技法について尋ねる機会に恵まれました。しかしその中でも特に今でも私の心に響いているのは、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズが私に放った「この世界で誰かに賭けるなら、自分に賭けろ。」という言葉でした。

この映画の製作中それはずっと私の真言となっていました。車を売った時、別のクレジットカードを作った時、波のように襲ってくる恐怖を感じた時、他に誰に賭けたいのかもしくは他に何をしたいのかと自問しました。そしてその答えはいつも同じで、他の誰でもなければ何でもなかったのでした。
この映画の製作やその重要性について、他に付け加えたいことはありますか?
この映画は耳と目に届けるためにハートから送り届ける映画です。爆音で観てエンジョイしてください。

COMMENT

(五十音順・敬称略)

そこまでやるんですか!ジミー桜井!
全音楽ファン、ミュージシャン必見の映画が新たに一作、ここに誕生。

オカモトコウキ
(OKAMOTO'S)

ジミー桜井さんのギターの70年代の音にずっと鳥肌が立ちっぱなしでした!
映画『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ』を映画館、ビデオ、DVDと100回以上は観たでしょうか。地球上にこんなにカッコいいものがあるのか〜といつも思いますが、この映画のジミー桜井さんは、そのころの70年代のジミー・ペイジの音をとことん追求。
ビンテージアンプの専門家、ピックアップの専門家、ドラゴンスーツは刺繍の専門家、さらには今のデジタル技術には出来ないノイズのある音。1950年代のビンテージコンデンサーまでアンプに組み込み、鈴と鉛の合金で音を鈍らせている凄さ!
ジミー桜井さんのライヴは10年以上前から何度か体験していて、正直、トリビュートバンドは下手をするとお笑いになってしまうことがありますが、桜井さんは完全に一線を画しています。
前述『狂熱のライヴ』で、ジョン・ボーナムの横で幼きジェイソン・ボーナムが子ども用ドラムセットを叩くシーンがあったけど、成長したジェイソンとジミー桜井さんが共演しているのに胸が熱くなりました。

kazumasa kubo
(グラフイックデザイナー)

学生の時にCDで初めて聴いたZEPの音楽、ジミー・ペイジと同じギターの音が目の前にあるという信じられないことがスクリーンの中で繰り広げられている。
自分が描いた理想となることに妥協せず邁進する姿に沸々と心の奥底が熱くなる。
夢を追い求める全ての人に観てほしいドキュメンタリー。

熊谷 祥
(タワーレコード新宿店ROCKバイヤー)

ジミー・ペイジにとり憑かれた男の
常軌を逸した人生を賭けた異常な挑戦に僕は震撼した。

髙嶋政宏
(俳優)

「今の若いミュージシャンは『個性が大事』と言うが、その音楽は僕の耳にはとても無個性に聞こえる。
逆に立川流の噺家たちは『自分の芸は談志師匠のコピー』と言ってるが、その噺は僕の耳にとても個性的に響いてくる」
これは昭和の人気テレビキャスターが言ってた言葉だ。『ミスター・ジミー』を観終えて、僕は上記の名言を思い出した。半端な個性より、究極の完コピの方が、最終的に演者の“覚悟”が炙り出されるのだ。ジミー桜井のギターは、まるで名人の語る古典落語のように、僕らに様々な人生の味わいを感じさせる。
30年以上コピーギターを極めたことで、突出して個性的な人生を獲得した男。その生き様を描き切った大傑作。
人生に悩む、全ての中年男性に観て欲しい。

高橋慎一
(「THE FOOLS 愚か者たちの歌」監督)

本物に近づくために妥協しない。
オリジナルとは何か、コピーとは何か。
ジミー桜井の真っ直ぐな探究心が、
「創作」の概念を揺さぶってくる。

武田砂鉄
(ライター)

人が人生を賭けて熱中出来るものを見つけることがどれだけ難しいか。
それを見つけた人の映画だ。
人生とは自分のためにあるべきだ。
アクセルは踏むためにある。

田中ヤコブ
(家主)

邦楽しか聴いたことがなかった中学時代に友人の家で聴かせてもらったLED ZEPPELIN。
洋楽もスタイルも奏法もリフもグルーヴもロックンロールも…すべてが人生初で狂った。 ZEPもペイジも唯一無二だ。
そんな唯一無二に魅せられ挑み続ける唯一無二のギタリスト"MR.JIMMY"の真っ直ぐすぎる情熱に
羨ましさと切なさで胸がヒリヒリした。
ZEPPELINSHOCKは尊くて罪深い。 MR.JIMMYの果てなき階段は天国へ辿り着くのか。

つるの剛士
(俳優 / タレント)

自分が愛するギターヒーロー公認の生き方なんてどんなロックファンでも真似できやしない。
ジミー桜井氏の人生に乾杯。

テリー植田
(イベントプロデューサー)

衝撃、憧憬、実行、誠意、継承。それはジミー・ペイジ・ジミー・桜井!これはそういう映画だ。

西江健博
(音楽ライター/「レッド・ツェッペリン・ライヴ・ファイル」著者)

ロックも50年後にはクラシックとなる。
バンドでの理想と苦悩。純粋で妥協のできない彼が最終的にたどり着いた場所に心が揺さぶられた。

西寺郷太
(NONA REEVES)

憧れのミュージシャン。ロールモデルとして自身に反映させ成功した人達はいる。でもコピー演奏でしょ?ヒーローそのものにはなれないよ、どんなに似ていても結局他人なのだから...。この映画を観始めて、一体どのシーンまでそんな悠長な心緒で居られることだろう。

長谷川友
(音楽雑誌『beatleg』ライター)

自分も10代後半の頃、ジミー・ペイジに成り切りたい、という〝不可能なファンタジー〟を真剣に思った長い時期がありました(笑)、ところがJimmy SAKURAI さんはそれをここまで実現化されている、これはもの凄いことなんです。
ジミー・ペイジが他の偉大なギタリスト達と乖離している点は、自らの楽曲以上にその存在とパフォーマンスが確固たる〝作品の一部〟であった事だと思います。これこそ孤高の存在理由であり、ペイジと感性の通じるSAKURAIさん(自分も多少そのつもりなので良くわかる気がします)にとって、〝ジミー・ペイジという偉大な作品〟への敬愛的探究という大いなるライフワークの成就だと思いました。
マジで頭が下がります。

HIROSE SATOSHI "JIMMY"
(44MAGNUM)

ギターを手にしたことがある人なら一度は「胸いっぱいの愛を」のリフを弾いてジミー・ペイジになりたいと思ったことがあるはず!それを体現してしまったのがジミー桜井。しかしその道は一筋縄ではいかず・・・ツェッペリン好きはもちろんのこと、好きなことを極めようとしている方も必見の映画!!

松岡秀樹
(ディスクユニオン)

いちジミー・ペイジフリークとしてこの映画の上映は非常に喜ばしく、桜井氏と同じ日本人として大変誇らしく思います。
"ジミー桜井"と"桜井昭夫"、この2人の男の生き様が生々しくも煌びやかに脳裏へと焼き付いてくるであろう。
ジミー・ペイジへ胸いっぱいの愛を捧げ続け、丘の向こうへ、そして天国への階段を駆け上った偉大な男達の物語である。そう、今まさに!クローン人間を作るという科学技術は、ジミー桜井という男の登場により不必要なものとなったのだ!
かなりハードなペイジストの私にとって、この映画に登場する情報の一つ一つもまた見逃せない。ジミー・ペイジに対する桜井氏の徹底的なまでの分析力と解像度の高さには脱帽するしかない。ジミー・ペイジが好きなジャンキー達にとっては新たな学びを発見できる機会にもなるだろう。
人生にはGood TimesもあればBad Timesもある。ただ、好きな事をやり続ければいつかはYour Time is Gonna Come さあ、ギターを手に取りWe're Gonna Groove!!

マツシマライズ
(暴動クラブ)

ジミー桜井さんの、苦行僧のような姿勢に感銘を受けました。
能・狂言などの伝統芸能の現代版、あるいは、巨匠の絵画作品を、使われた油絵の具やキャンバスまで特定して模写したマイク・ビドロや、扮装で立体模写する森村泰昌さんなどのアプロプリエーションアート、シミュレーションアートのロック版ともいえそうです(この場合の「アプロプリエーション」は、褒めことばです)。ポイントは「ディテールこそ命」ではないでしょうか。
 ビドロは、ピカソの絵画を模写したときタイトルを「Not Picasso』としています。それに倣って、桜井さんのパフォーマンスを、「Not Jimmy」としたとき、そこにはダブルミーニング、「ジミー(ペイジ)であってジミー(桜井)ではない」と、「ジミー(桜井)であってジミー(ペイジ)ではない」、がありそうです。
 桜井さんいわく、(そこに)「ぼく自身はない」(いるのはジミー・ペイジだ)、これこそアプロプリエーションアートの真髄といえるのではないでしょうか。それを成り立たせている大きな要因のひとつは、手足・指の長さ、身長、痩身など、桜井さんの体型が70年代のジミー・ペイジにそっくりだったこと。体型だけは、真似しようにも真似られませんから。
僕も趣味でギターを弾きますが、桜井さんの、「楽器がいつも教えてくれる、何をどう弾くのかを」、ということばが心に沁みました。

松田行正
(グラフイックデザイナー)

ジミー・ペイジに生涯を捧げる男と、彼を信じて人生の大切な時期と財産を捧げた映画監督。これは「全身全霊で誰かを信じること」についての映画である。

村山章
(映画ライター)

誰もがレッド・ツェッペリンの魔法に憧れる。でもジミー・ペイジ以外に誰もその魔法は持っていない。だからジミー桜井は情熱と知識と科学と鍛錬によってその魔法に挑む。そして彼はジミー・ペイジの心を動かし、僕らの心を揺さぶる新たな魔法を生み出したのだ。

山崎洋一郎
(株式会社ロッキング・オン)

予備知識なしに映画を観はじめ・・・サウンド、スタイル、アクション、何処をどう見てもジミー・ペイジ・・・しかしその男は、日本語で喋り出した‼

ラジカル鈴木
(イラストレーター)

こりゃ泣ける!
1970年代後半、僕達は皆んな思っていた!だけど実現しなかった夢、それは!「ジミー・ペイジになりたいっ!」
その荒唐無稽な夢を、果てしない情熱で一心不乱に突き進む男のドキュメンタリー映画!
美しい雪国の風景と、あまりにも純粋すぎる少年の織りなすレインソングは永遠の詩そのものじゃないか!

ROLLY
(ミュージシャン)
PRODUCED, DIRECTED, & EDITED BY PETER MICHAEL
DOWD CINEMATOGRAPHY BY
IVAN KOVAC & MATTHEW BLUTE
MUSIC RECORDING & MIXING BY JEFFREY JOUSAN
RE-RECORDING MIXER PHILLIP BLACKFORD
EXECUTIVE PRODUCER PAULA DOWD

ジミー桜井 中原理絵 鈴⽊捷⽣ ⼤澤紀代美 
桜井純⼦ 岸本信次 岩﨑篤 鷲⽥直樹 深野真 横関清高
デビッド・スワン・モンゴメリー ジム・ウーテン 
デレク・スミス スミト・サム・オカモト
ジョージ・コックル 渡辺麻耶 
ディック北畑 倉林敦夫 阪本隆司
ショーン・ケリー ニック・ミランダ ジェフ・メイヤー
 フランキー・バナリ スコット・ハサウェイ
バーバラ・ダンジェロ 小海博 
ジェイソン・ボーナム

製作・監督・編集:ピーター・マイケル・ダウド/
撮影:アイヴァン・コヴァック、マシュー・ブルート
音楽録音・ミキシング:ジェフリー・ジュサン/
再サウンド・ミキサー:フィリップ・ブラックフォード
製作総指揮:ポーラ・ダウド/
字幕監修:西江健博、横関清高、桜井純子
2023年 アメリカ・日本 日本語・英語 114分 
16:9ビスタ 5.1ch 英題:Mr. Jimmy
提供:ニューセレクト|配給:アルバトロス・フィルム
© One Two Three Films